
はじめまして。
『健全な自分ファースト』で別次元のみらいを創る、カウンセラー・コーチの水木 花(みずき はな)です。
家事・育児・仕事に追われているのに報われない、無意識に自己犠牲を続けてきた方に向け、ご自身が本当に望むみらいへと人生のステージを変えるサポートをしています。
セッションはお客様とカウンセラー・コーチとの共同作業になりますので、相性も重要なポイントのひとつです。
ですので、私がどのように生まれ育ち、どんな悩みを抱えそれを手放してきたか、ご興味があれば是非ご一読ください。
私の原動力となっているのは、「私のような思いをしてほしくない」「ご自身の望む未来を生きてほしい」という思いです。
親の求める「いい子」でいることで家庭での居場所を確保した子ども時代
昭和の香り漂う家庭で、家の空気に気を遣って育ちました
共働きの両親のもと、二つ違いの兄のいる家庭に生まれました。
兄は「やんちゃ」で「きかん坊」。
母は手を焼き、兄と私が揉めているといつも私にだけ、言い返さずに黙っているように言ってきました。
それが一番手っ取り早かったのでしょう、私は不本意ながら口をつぐみました。
母は母で、私が思う通りに動かなかったり面倒を掛けたりすると、とたんに機嫌が悪くなり、険しい顔で舌打ちしては嫌味を言ったり、時にはきつく叱りつけてきました。
私はそんな母を見るのが嫌でたまらず、何か困ったことがあっても口に出さず、言い返すことをせず、家の中が不穏な空気にならないよう気を遣うようになっていきました。

母の愚痴の聞き役になるのもしばしばで、子どもの私にはどうしようもできない、本当は聞きたくもない話をじっと黙って聞いていました。
兄の機嫌を損ねないように。
母の機嫌を損ねないように。
私は自分の本心は押しころし、親の望む「いい子」でいることで、なんとか家庭での居場所を確保していました。
繰り返される「女だから…」 の言葉に、我慢と自己犠牲の精神が刷り込まれていきました
「長男」で「跡取り」の兄が何でも優先され機会が与えられる一方で、女性である私は我慢を強いられるのが常でした。
「女だからダメ」
「女だから手伝いなさい」
日々これらの言葉を投げかけられていました。
家事の手伝いを言いつかるのは私だけ。
誰かと外で遊んでいる時でも私だけ呼び戻され、今すぐ家事をするよう言い渡されたり、
母が不在の時は、家じゅうの家事が全て私ひとりに托されました。
何も言われず、自分からも何もしない兄を横目で見ながら、
「どうしていつも私だけ?」
心の中はザワザワと波立ちました。
でも、口に出しては言えませんでした。もう聞かなくても答えは分かっていました。

「女だから」
こうして、「自分のことは後回しにして、求められている役割を優先する」
我慢と自己犠牲の精神が刷り込まれていきました。
「女である私は価値がない。だから役に立たなくてはならない」心の奥にインストールされました
「女だから」と散々言われる一方で、何か私に褒められるようなことがあった時は、必ず
「男だったらよかったのに」
と言われました。
心の中ではいつも
「何で女じゃダメなの?」
と、反発していましたが、
幼いころから何度も繰り返し聞かされ、兄とのあまりの待遇の違いが身にしみるうちに
「女である私は価値がない。だから役に立たなくてはならない」
「女である私は愛されない。だから求められる役割をこなさなくてはならない」
そう心の奥にインストールされました。
大人になってからも自分のことは後回し、人生ハードモードでした
「ちゃんとやらなきゃ」「頑張らなきゃ」スポ根ドラマを地で行った会社員時代
そのプログラムは大人になって社会に出てからも、気がつかないままずっと動き続けていました。
新卒で入った会社では、不規則勤務の慌ただしい部署に配属になりました。
不規則なスケジュールに気を張り、いつも周囲に気を配り、先回りをすること、効率よく動くことに注意を払い…
「ちゃんとやらなきゃ」
常に何かに追われているようで気が休まらなくなっていきました。
慢性的な睡眠不足と心身の疲労が積み重なり、ついには過労で倒れることもありました。
それでも、
「休んじゃいけない」
「頑張らなきゃ」
と、昭和のスポ根ドラマさながらのド根性で自分を奮い立たせて走り続けました。
「女はダメ」って言われないよう、男性並みに…いえ、それ以上に頑張らなくてはならなかったんです。
仕事に家事に働きづめの新生活
そんな中、二十代半ばで婚約しました。
新生活が始まり、数日ぶりに仕事から帰宅しました。徹夜明けでヘトヘトでした。
家に入った私の目に飛び込んできたのは、洗濯物の山と読み散らかした新聞、使用済みのグラスの数々でした。

心がザワっと波立ちました。
一睡もしないまま何度も洗濯機を回し、掃除をし、買い出しに行って食事を作り…。
お互い仕事をしているのに、気づけばひとりで家事を一手に引き受けていました。
「どうしていつも私だけ?」
実家にいた頃の理不尽な思いが蘇りました。
頑張っているのに明るい展望が見えず、新生活にピリオド
その上、相手の両親からは、「長期休みには帰って来い」、「いずれは同居」との圧が強まりました。
日々、仕事に家事にふらふらになりながら頑張っているのに、責められているようで苦しくなってきました。
「いつまでこの生活が続くんだろう?」
全然幸せではない自分に気が付いてしまいました。
どう考えても将来に明るい展望を見いだせず、結局この生活にはピリオドを打ちました。
穏やかな家庭を思い描き、働き方を見直し転職するも、朝から夜遅くまで働いた30代
やがて新しい出会いがあり、将来の穏やかな家庭を思い描くようになっていきました。
前回の教訓もあり、私は毎日家に帰れる日勤の仕事に転職をしました。
ところがここでもまた無意識に自分のことは後回しにして、求められている役割を優先していました。
朝早くから夜遅くまで働き詰めになり、結婚する予定だった彼とは疎遠になっていきました。
多くの人たちが当たり前のようにスルッと結婚し、子どもを産み育て、サラッと家庭生活を送っている…ように見えるのに、
「どうして私にはそれが出来ないのだろう?」
と悩みました。
毎日忙しく頑張っているのに、「報われない」と感じました。
言っていいという発想が無かった「助けて」という言葉
歯を食いしばって働いていたら、文字通り歯を強く嚙みしめていたようで本当に歯にヒビが入ってしまったことがありました。
その日何時に帰れるかもわからない日々でなかなか歯科医の予約も出来ず、この時も自分を後回しにして仕事を優先しました。
具合が悪い時、その日の仕事を限界まで頑張ったら、もう自宅に帰る気力も体力も残っておらず、会社近くのホテルを取り、やっとの思いでヨロヨロ歩いて行ってベッドに倒れこんだり。

どちらの時も「助けて」が言えず、
―そもそも「助けてと言っていい」という発想そのものが無かったのですが ―
ひとりで我慢し、働き続けました。
こうした働き方の根底には、子ども時代に家庭でインストールされた、
「いい子」でいなければ居場所がない
「自分がどうしたいか」より「求められている役割」を優先する
「女である自分は価値がない」=「だから役に立たなければならない」
というプログラムが絶え間なく動き続けていたように思います。
結婚。今度こそ穏やかな生活が待っているはず
その後、このまま働いていたらさすがに大きく体を壊すだろうと実感するようになった頃、ご縁があった人と結婚しました。
優しく面倒見のいいタイプの人でしたので、今度こそうまくいきそうな気がしました。
お互いに兄がいて、待遇に差をつけられて育ってきたところに意気投合したこともあり、理不尽な思いをしないで済むのではないかとの期待もありました。
それまでの仕事は退職し、今までより時間にゆとりが持てそうな仕事に変わりました。
ようやく「ささやかな普通の家庭」が作れそうに感じました。
優しい人だと思ったのに…だんだんモラハラ化してくる夫
相手の仕事は明らかに私より忙しかったので、 朝早くから夜遅くまで仕事で大変だろうと思い、家事は私が全部引き受けていました。
ところが、だんだん相手の言動に気になる点が見られるようになってきました。
最初はほんのかすかな違和感でしたが、何をするにしても自分中心の態度や、自分の方が稼いでいるのだからといった言動が増えてきました。
彼もまた私と同じように不公平感の強い満たされない幼少時代を過ごしており、それを取り戻すかのように、自分中心のモラハラ夫となっていきました。
正確に言えば、自覚のないまま相手を優先してばかりで自己犠牲的な行動をしてしまう私がモラハラを助長させてしまったのだと思います。
妊娠中、ストレス多く突発性難聴を発症
妊娠すると、私の心配事は、
出産の際、どうやって一人で病院に行こうか
退院後すぐにどうやって一人で育児しようか
ということでした。
里帰りは考えられませんでしたし、夫も仕事のストレスでイライラしていました。

そんな日々の中、突発性難聴を発症しました。
通常なら即刻入院、安静の上点滴治療をするそうなのですが、妊娠中のため通常の治療ができないので入院は無しになりました。
入院しないとなると、結局いつも通りに家事や仕事やその他の用事に追われ、安静にできないまま片耳の聴力を失いました。
夫のため息と舌打ちの中、出産のため病院へ
出産のため入院したのは夫が居る夜中だったので、全て準備した上で夫を起こし、車で連れて行ってもらいました。 自分でハンドルを握らずに済みホッとしました。
でも、病院に向かう車の中で夫は何度も何度も大きなため息をつき、舌打ちをしていました。
子どもの頃から、迷惑を掛けたり何かお願いした時に母にもよくされていました。
「迷惑なんだよね。」
…そう伝わってきて、何とも言えない苦い気持ちがこみあげてきました。
病院に到着すると「ここでは(仕事とは言え)私の体調を気に掛けてくれる人ばかりだ」と、心の底から安堵しました。
次々の体調不良とマルチタスクでつぶれそうだった母としての日々
出産後は退院当日から自宅で日常生活。ますます無視する自分の心と体の声
出産後は、退院したその日から自宅での日常生活に戻りました。
退院当日、自宅で洗い物をしていると、突然寒気に襲われ歯がガタガタいうほど震えが来ました。
驚きましたが、やることがたくさんあり、ゆっくり休んでいる場合ではありませんでした。
ワンオペ育児&家事の日々の始まりです。
同時にこれまで以上に自分の心の声と体の声を無視する日々の始まりでした。
ほどなく腱鞘炎になり、それを皮切りに次々と不調が現れました。
人手が無ければ、自分で自分を助けるしかない! 前倒し無限ループにはまる
ひとりだと赤ちゃんをお風呂に入れ自分の髪を洗うのさえ簡単ではありませんでした。
先の事を考えてどこまでやっておくかでその後のスムーズさが全然違うのを実感してからは、
人手がないのなら、
今の自分が1時間後、2時間後の自分を助けてあげればいいんだ!
と、前倒し準備に拍車がかかりました。
手が離せずいっぱいいっぱいの時に、少し過去の自分がやっておいてくれた事に救われることも多かったです。
一方で、
「今やっておかないと、ちょっと未来の自分が困る!」
と前倒し無限ループにはまっていきました。
「他に何か今やっておけることは無いか?」と先の先のことまで考え、ますますホッと一息つくことが出来なくなっていきました。
マルチタスクでギリギリめいっぱい、仕事と子どもの間で揺れ動く
生後4か月で仕事に復帰してからは、忙しさに拍車がかかりました。
講師をしていた私は、事前に準備しておきたいことがいろいろありました。
子育てと家事をしながらのマルチタスクとなりました。
良く泣きあまり眠らない子の育児に手がかかり、合間合間に家事をこなしていくともういっぱいいっぱいでした。
せめて翌日使う資料に目を通しながら段取りを考えておきたい、と思ってもその時間が取れませんでした。
夜中に何度も目覚めては泣く子に授乳しながら、懐中電灯の明かりでテキストや資料に目を通しました。
そしてようやく寝付いたわずかな時間を拾い集めてパソコンに向かい、明け方までかかって何とかギリギリ間に合わせる日々でした。
「家に居る時間=仕事ではない」
という認識の夫の協力が得られず、他の用事も重なったり忙しい時期はいつも切羽詰まるような焦りを感じました。
子どもを預け、家庭のあれこれをとりあえず一旦置いて仕事に行っている時間が一番ラクでした。
でも子どもが歩くようになり、後追いして私の手をぎゅっと掴むようになると、小さな指を1本1本剝がして逃げるように仕事に行くのが辛くなりました。
「遅刻しないように早く行かなきゃ!」
という焦りと
「こんなに小さいうちは子どもと一緒に居たい」
という気持ちが交差しました。
心臓病が発覚、頭がいつも戦闘モードで激しい頭痛に苦しむ
ある日、不整脈に気づきました。
いつも通り放置していましたが、ずっと続くので病院に行ったところ、心臓病が発見されました。
頑張っている人は報われる
と、どこからともなく刷り込まれていて、この期に及んでもまだ少し真に受けていた私は
え? 何で? 毎日こんなに頑張っているのに?
と、理不尽さでいっぱいでした。
その頃、片時も休まることなく続く頭痛にも見舞われました。
頭がギューッと締め付けられる強い痛みで、さすがに日常生活もキツくなりました。
あまりに治らず病院に行ったところ、
「頭がいつも戦闘モード」
と言われました。
交感神経(緊張)が優位で副交感神経(リラックス)の出番が少ないのではと。
でも、だから、私にどうしろと言うのでしょう? 戦いたくて戦っているわけではありません。
実家で産後をゆっくり過ごす人も多いのに、ひとりで頑張ってきた私にこの仕打ちは何なのかとやりきれない思いでした。
「ずっと我慢してきたのに」子どもに向かって叫んだ言葉は、私の心の叫びだった
子どもには自分の子ども時代のような理不尽な思いはさせたくないと思い、心理学ベースの子育て講座に参加したり、子どもへの対応には気をつけていたつもりでした。
でも、自分が目いっぱいの時に思わず声を荒げてしまったことも一度や二度…三度や四度ではありませんでした。
ある時、
「どうしてあなたはいつもそうなのよ!」
「私なんか、ずっと我慢してきたのに!」
そう叫んでしまってから、ハッとしました。
…あ。私、ずっと我慢してきたんだ…
思いもしなかった自分の言葉にその場にしゃがみ込んでしまいました。
私、ずっと…
我慢してきたんだ!
ずーっと、ずーっと
我慢してきたんだ!
思いがけず、自分の心の奥から言葉が溢れた瞬間でした。 涙も溢れてきました。
娘に対してではなく、これまでの自分の人生ずっと我慢の連続だったと、この時初めて気が付きました。
娘に謝りながら、初めて言語化されたこの想いに自分でも驚きました。
でも、誰かが代わってくれるわけでも無く、再び我慢の日々に埋没していきました。
ついに救急搬送から入院で「強制リセット」
これからは「健全な自分ファーストで」生きると決めました
繰り返す義両親の入退院も加わり、ついには自分が緊急入院
そのうち義理の両親が入退院を繰り返すようになり、病院の送迎や付き添い、入院時の面会などが加わりました。
夫は仕事と実家の事でいっぱいでピリピリしているし、私も仕事の他に子どもの学校や地域でのお役目もあり、ますます余裕がなくなりました。
そのせいか、子どもは不安定になり、多方面で心配事の絶えない日々でした。
最後は私まで救急車で搬送され、そのまま3週間の入院生活となりました。
当初は立ち上がることはおろか、上体を起こすことすら出来ず、寝たきりでした。
この入院中に仕事は辞めました。 早く代わりの人を見つけてもらわなくてはと、迷いはありませんでした。
病院のベッドの上で決めた、これからは「健全な自分ファースト」で生きよう!
ベッドの上で苦しむだけの日々。
動けなくなって思ったのは、
自分の意志で
行きたい場所に行き、
やりたいことをやり、
会いたい人に会い、
食べたいものを食べる
これが人生の醍醐味だということです。
でも動けた頃はいつも自分のことを後回しにしてばかりで
行きたいところに行かず
やりたいこともやらず
会いたい人にも会わず
食べたいものさえ食べず
誰かの要求を満たすことばかり優先していました。
だんだん退院の日が見えてきたころ、看護師さんに声を掛けられました。
「早く退院したいですよね。お家に帰りたいですよね!」
思わず答えに詰まりました。
「帰りたい」って言えなかったんです。
—またあの我慢と義務感ばかりの毎日に戻るのかって。
娘のことだけが気がかりでしたが、毎晩電話で話す時の様子はしっかりしていて、私が居なければ居ないで何とかなるものだと思いました。
もう我慢と義務感ばかりの自己犠牲は手放して、
これからは、健全な自分ファーストで生きよう!
そう心に決めました。
それは決して「自己中心的な生き方」ではありません。
自分を大切にしながらも、周りとも調和して生きること
他人の期待ではなく、自分の価値観に従って選択することです。
「強制リセット」で気づいた「誰に許可してもらうでもなく自分で手放して良かったんだ」
動けなくなったことで「頑張らなきゃ」を手放すことができました。
と言うより、動けないので手放さざるを得なかったのですが。
まさに「強制リセット」でした。
迷惑をかけてしまったと感じていた仕事先の人たちや周囲の人たちも、温かく接してくれました。事情を知って手を差し伸べてくれる人もいました。
「嫌です」
「無理です」
「出来ません」
が言えず、言われたことはやらなければならないと無理を重ねた日々。
誰に許可してもらうでもなく、自分で手放して良かったのです。
「助けて」が言えない私でしたが、先生、看護師さん、理学療法士さんはじめ多くの方々に助けていただいて、少しずつ回復していきました。
再び歩けるようになったことに感謝の気持ちでいっぱいです。
実は転機は前にもあったのに「わかった」だけで終わりにしてしまっていた
実は、それよりもっと前に手放す機会はあったのです。
家事・育児・仕事でいっぱいいっぱいの中、
この忙しいのに報われない生きづらさは何なのだろう
何とかできないものか
と、心理学やコーチング、潜在意識やなどいろいろ学んだ時です。
特にカウンセリングを受けた時は、「相手はプロ」という安心感の中、洗いざらい話を聞いてもらう中で自分の考え方のクセに気づいていきました。
自分の子ども時代の家庭について、
「それぞれが、それぞれの立場で、
それぞれの役割を頑張っている」
という思いがけない言葉が自分の口から出てきたとき、
「そうだったのか!」
と胸の中のわだかまりがゆるみ、涙がこぼれました。
これまで、そんな風に思ったことは一度も無かったのです。
でも、そのときは「分かった」だけで良しとしてしまい、慌ただしい日常の中にまた自分を埋もれさせてしまったのです。
そして、救急搬送された病院のベッドの上で寝たきりになったとき、再びそれらのことを思い出したのでした。
「頑張る」を手放し、「NO」が言えるようになったら、周りの人達まで変化してきました
その後私は「頑張る」ことを手放し、我慢したり頑張らないと出来ないことはお断りするようになりました。
今まであれもこれも引き受けてきて、何なら「空気を読んで」自分から引き受けて来た私でしたので、すぐにガラッと180度変わったわけではありませんでしたが、だんだん周りの人達も変化してきました。
自分が緩むと周りも緩みます。
あの横のものを縦にもしない…どころか、縦のものを横にして私を困らせていた夫が、
あの趣味の釣りに行くと、洗濯物も釣った魚も私に丸投げだった夫が、
今では、自分で洗濯を済ませ、釣った魚を自分で下処理し、お刺身や煮付けを作るようになりました!
頑張り過ぎている人たちへ伝えたい、「健全な自分ファースト」で生きることを
私は幼い頃から「本当の自分」を抑え、周囲の期待に応えることを優先して生きてきました。
その結果、自己犠牲が当たり前となり、心身ともに限界を迎えるまで、自分の心と体の声に耳を傾けることをしませんでした。
入院という「強制リセット」を経験し、ようやく自分自身と向き合う時間を持つことができました。
その中で、「もっと早く自分を大切にしていれば、こんなにも苦しまなくて済んだのではないか」と深い後悔の念に駆られました。
この経験から、私は同じように頑張り過ぎてしまう方々が、ご自分の感情や本音に目を向け、『健全な自分ファースト』でご自分が望む人生を生きることの大切さを伝えたいと強く思うようになりました。
頑張らなくても愛される世界がそこにはあります。
生きづらさを感じている方々が人生のステージを変えるサポートをしています
現在は、これらの経験と学びを活かし、生きづらさを感じている方々が、ご自身の心の声に耳を傾け、これまでの延長線上ではない別次元の未来をつくるサポートをしています。
誰かの理想を生きるのではなく、ご自身の理想の未来を生きませんか?
人生のステージはいつからでも変えられます。
あなたの人生は、あなたのものです。
今まで走り続けてきたあなた。本当によく頑張ってこられましたね。
肩の荷を一旦おろして、ここに座ってホッと一息つきませんか?
そしてどうぞ、安心してあなたの声をお聞かせくださいね。
